親子という関係を手放す



不安は自分で作ってる。

とは

教科書みたいだけど

その通りだね。


でも

不安の最中では

その不安を作ってる要因がつかめないし

手放せと言われても

どうやって?

と思う。


一瞬わかった気がして

一番目に付くものを

「大丈夫、何とかなる!」

と言い聞かせて突破するも

また形を変えた同種の不安がやって来る。

何度も何度も繰り返す。


そんなことが何年も続いた。





でも

何度も繰り返さないとわからないことなんだ

って今は思う。

そうあるべきって思い込んだものは

簡単にはくつがえせないし

自分の思考から削除するって

意味わからないもの。


親子の関係は手放しの重要課題。


例えば

私は父の娘だから

母が他界したあとの身の周りは

同居する長女の私が当然面倒を見る。

が当たり前だと思ってた。


でも

私にはサロンをやって行かなくてはいけない事情があった。

たくさんの人が直面する介護問題なんだけど

時には

仕事を辞めて介護に専念する人もいるしね。


ところが

父は私が父の私生活に入り込むことを拒否した。

「自分で出来る」という。

高齢ではあるが元気なことは間違いない。


食事は好きな物が食べたいし

好きなことを好きなようにしたい

というのが父の願い。


高齢の父をほっては置けないと

それでも最初はいちいち手を出そうとした私。

でも

ちゃんと自分で人生を生きると決めた人に

「あなたには無理」って

ダメ出ししてる?

って突然思った。


親子としての常識的な関係を手放して

父を信頼する。

それが必要なんだと思った。


父は掃除機が嫌いなので

たまに私が掃除機をかけたりすると

「俺の掃除はダメか?」というので

留守の時にそっとかける。(^^;)


今は私がお節介をするのは施術だけ。

父の元気はお互いの幸せだから...





この頃のファッションは最高だよね。

ホント可愛い。



子どもの人生も

愛からではあるものの

親は自分の理想像を掲げ

コントロールしようとする。


勿論、親はそんな風には思ってはいない。

子どもが幸せになる為に...

という信念のもとに

親としての努力をしてるのだけれど

子どもの幸せは

子どもにしかわからない。


自分が幸せになってこそ人間の幸せが分かる。

ということであれば

射の一番に

親が幸せであるべき。

自分の幸せは必ず周りに波及する。


子どもに幸せな自分を見せることが

何よりもの教育なんだよね。きっと。







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