全てを赦すということ
11月に入って
特に変わったことも無く過ごしてる様な毎日。
なのに
気が付けば
私が変。
何を言ってるのかと思われちゃいそうだけど
まじで
違うバージョンの自分になってる気がする。
違うバージョンの私は
ちょっと
いい加減。(^^;)
今日も
「三角チョコパイが変わったみたいだよ」
という家族の話に
「形が変わったの?」
と何気なく返したら
「( ゚Д゚)ハァ?」
という反応。
ん?
あっ!形は三角か…(^^;)
「何言い出すの!」
「最近ホントにいい加減というか天然感満載」
という反応をもらう。
意識がふわふわ宙を舞ってるみたいで
どんな事にも
真剣になって無い気がする。
そう
いい加減。(^^;)
お台場から富士山が見えたので撮ってみた。
でも写って無い。(^^;)
たぶん、フジテレビの隣の黒い影がそう。
実は
少し前に
私にとっては大きな転機があった。
私は当たり前だと思っていた。
「ずるい」という行為は絶対ダメ
って。
たぶんダメなんだと思う。
でも
自分がずるさを体験するという場面に出くわした。
というより
色々考えあぐねた結果
ずるいやり方を選択したということかな。
そこに結論を持って行くまでに
相当な葛藤があったし
行動を起こす時には
心臓が爆発しそうだった。
でも
不思議に何処からもストップがかからない。
宇宙からのNGも無い。
最終的には
驚くほどスムーズにことが解決して
あっけにとられた。
ずるいという行為がダメって決めてるのは私。
なぜダメ?
ずるいに至るまでの様々な条件がずるいを選択させたじゃない。
ずるいを選択するにも
そうするしか仕方が無かったという背景もあったじゃない。
そう
私はそれを知る必要があった。
お陰で
ずっと拭えなかった家族への不信感が消えた。
まだ早いけど...
ここから先はもう大変なことは無いよ
ささやかな楽しいクリスマスを過ごそうよ!
ってことで
犯罪が犯罪だって決めてるのは人間のルール。
それが間違ってるってことじゃないけど
決めつけることで歪むこともある。
私の人生は私が創るもの。
ならば
私の体験するドラマは
出演者はみんな幸せな人がいい。
全てを赦すということが
理解の範囲に入って来た。
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