本当の感謝



相手の気持ちになって考えて。

って言われるけど

それ普通は

やっぱり無理だよね。

想像でしかないもの。


立場も状況も感じ方もが違うから

勘違いなことも多いよね。


それでもね

瞬間的な感情じゃなくて

その人の持ち続ける心と言うことなら

理解するのは大事なのかも。

そんなことを思った。


最近知ったこと。


実は

他界した母がずっと心に引っかかってたことがあって

認知症が混ざった曖昧な記憶の中でも

そのことは消えない感情として存在していた様だ。


というのは

隣に住む叔母との関係。

義妹だからね母は小姑な訳で

子どもの私から見ていても長い間厄介な関係ではあった。


叔父含めて色々揉めたりもしていた様だ。

いや、もめてた。

土地の問題が大変だった時は私も巻き込まれてた。(^^;)


そんなややこしい関係ではあったものの

母と叔父は姉弟だし

叔父が大きな病気で入院した時は

看病が必要で病院に泊まり込む叔母の助けとなる為に

三人の小さな子どもたち

つまり私の従妹たちを母は預かって育てていた。


まあそれはなかなかに大変なことで

私も混乱の渦に巻き込まれ

惨憺たる中間試験の成績を残して職員室に呼ばれたりもした。


でも

全く勉強が出来ない環境では無かったので

当時の私は

自分の甘えと捉え

先生に理由は明かさなかった。


だがしかし

今考えれば

それはカッコ良すぎで我慢のし過ぎだと思うけど...(^^;)


まあその時の一件を

母はずっと心に持ち続けていた。

叔母が母に感謝をどう伝えたのかは知らないのだけれど

母の中では

「感謝を知ら無い人」として叔母が存在し続けた。


ことあるごとにその話は浮上して

母にとっては死ぬまで癒されることのない感情として残ってしまった。






今日は珍しい雨の一日。昨日の空は

素敵だった。



母が他界して二年後

叔父が他界した。


子どもたちが皆遠方に住む心細い叔母は

何かと私を頼って来てくれる。

高齢だし

体調の悪い時もあったりして

施術を施す時もある。


そんな関係になった頃

叔母の口から

「子どもたちを預かってもらった時の感謝は表現のしようがない」

と...


母に聞かせたかったなー


それと同時に

私にも母と同じような思いがあって

「こんなにも心配をして

守り抜くために心と体を張っているのに

どうして伝わらないんだろう?」

と思いながら過ごしている数年があった。

叔母の一言で

私の心のそこに光りが当たった。


そうだよね。

感謝してる。

でも

だからと言って日々感謝を口に出すというものではないし

感謝してるからと言って

何時も奉って関係を保つものでもない。


私の胸に深く入り込んで納得をした。


私も感謝をしている人はたくさんいる。

でも

常に「ありがとう」と言って訳じゃない。

「一生感謝をし続ける」

そう思っている人もいる。

でも

その言葉は一度しか言って無い。


「感謝ってそんなもんだよ。」

って仏壇の母にそう伝えた。





私もコロナでしんどい思いをした。

でも

他の人のしんどさは分からない。

これを観て「そうだったのかー」

って思った。



それぞれの人生をそれぞれが懸命に生きている。


そのことを忘れない。

それが大事ってことだよね。



素敵に生きよ!











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