不思議な流れはただの偶然...?
今日
ちょっと不思議なことを知った。
このところ
私の気まぐれな閃きで
高校生が自分でお弁当を作るのに使いやすいように
少しだけキッチンをリメイクしたり
父のテリトリーの
他界した母の残したものを片付けたりしたのだけれど
それにはあまり切羽詰まった理由もなく
何となく手を付けてみた
って感じだった。
でも
お陰でスッキリとした気持ち良さを引き寄せて
いい具合に満足していた。
そんな今日
明日の節分までにやっておきたいこと
というのを何気なく目にしたら
「鬼門の風通しを良くする」
という。
鬼門を調べたら
まさに私が整えた場所。
私はそんなことを知らずに
一階と二階の鬼門を片付けていた
という不思議。
偶然でもいい。
鬼は外
福は内で!(*^^)v
今日はレーズン入りで焼いてみた。
こんなことも
全部「偶然」で片付けることが多い。
見えない力とか導きとかは
異様に怖がったり訝ったりする。
それは何かの不都合に蓋をする流れだったのかなぁ?
色々考えてると不思議になる。
子どもたちが「良い子」でいることって
何を意味する?
もの凄く大人の事情が絡むよね。
大人しくするとか
指示通りに動くとか。
社会性を身につけるのも
社会の都合に合わせることだし
勉強が出来る事も運動が得意なことも
親の安心を引き寄せる。
子どもが破天荒に遊び回るとか
意のままに振る舞うとかって
大人の逆鱗に触れる。
その流れにそって成長して
子どもは本来の自分を忘れて行く。
ってことなのかー
と自分を振り返って思ったりする。
記憶の中だけど
たぶん3~4才のころから
大人の気にいる返事をしようと努力している私がいた。
お正月に
福島の田舎に二人で行こうと叔父に誘われた時
叔父と母の顔色を見て
4才ながら
たぶん行くと言った方が喜ぶだろうと思った。
そして
「行く」と返事をした時の母の驚いた笑顔と叔父の嬉しそうな笑顔を見ながら
私は明らかに後悔していた。
生きたくはなかったから...(^^;)
まあ
4才の女児と若い未婚のおにいちゃんとの珍道中は
なかなかにエキサイティングなものだった。
所々で強い印象で甦る場面があったりするけど
楽しかったという思い出にはなっていない。
たぶんたくさんの年始参りの人に会っているので
山ほどのお年玉を抱えて帰ったことは間違いないだろう。
そして
一昨年他界した叔父にとっては
一生の思い出になっていたらしく
記憶があいまいになってからも
私の事を忘れることはなく
最後まで
叔父の屈指の自慢話になっていた様だ。
その頃に流行った曲は記憶にないので
その昔
ワクワクしながら聴いてた曲で!
辻褄が合ったり
妙に信憑性があったり
ぐうの音が出なかったりで
信じるしかないと思う私だけど
そうなればそうなるほどに
毎日を丁寧に生きるという意識になる。
気付いた方が
楽になることも多い。
「そのまま生きていていいんだよ」
って教えてもらって
生きて来られた過去もある。
太陽に感謝して
月に感謝して
自分を愛して
彼を愛す。
ただそれだけで
幸せだったりするもの。
いいね
春が近づいて来るね。
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