人生の自由選択



ちょっと疲れたかなー?

日常から離れたい。

そんな空気が私を包む。

ヤバし。(^^;)


たぶん

家族の目には

「毎日楽してて羨ましい」

と映るだろうけど

そんなことはない

私はとても忙しい。


家事は勿論だけど

趣味の粉遊びは多岐に渡り

より難易度も上がってる。(笑)


誰にも理解されない施術の研究は

とんでもない核心に触れていて

これを超えればノーベル賞も夢じゃない。(^^;)

ってところまで来てる。


これでも

人知れず努力をしているのよ。

ただし

誰の為でも無いんだけどね。(^^ゞ


そんな生き方でも生きてていい。

それを伝える為に私は居るのかなぁ。

この世の反面教師。(笑)




梅の季節になったらしい。



今まで家族を見守って

苦戦も強いられても来たし

悲しく感じたこともあったけど

ここまで来て

随分落ち着いても来たし

良い変化も感じる。


人はコントロール出来ないからねー

自分の思いを現実にするには

やっぱり時間がかかる。


自分の思いを伝えることが大事

って言われるけど

心に刺さる助言は

どんなに言葉を尽くしても

受け入れがたいものではある。

増して

本人も自覚して変われない部分なら尚更のこと。


私は私の判断でそれらを排除した。

本人が気付くまで

本人が方向を変えるまで

見守ることを決意していた。


「本人が理解するまで愛を注ぎ続ける」

それを推奨する私の内側があった。


ところが

最近知った言葉

「毒親」(>_<)


ん~

まあ

親の影響は大きいし

圧力には避けられない力がある。


でも

自分の人生を

誰かのせいや何かのせいにしているうちは変われない。


変えられるのは自分だけ。


理不尽な立場に辛い思いをしたことも確かだろうし

たくさんの残念も感じただろう。

でも

そこから変わって行くのは自分だし

「親のせい」で終わらせるのは残念過ぎる。



私の母は自分の母親

つまり私のおばあちゃんが大っ嫌いだった。


四人の弟の面倒を見ながら

戦争に行ってる父親の代わりに畑仕事をする苦労を

おばあちゃんに強いられていたと言葉にするのが常だった。

「あんなに酷い母親を私は見たことが無い。」と


「学校にも行かせてもらえず」

というのも本当の話だった様だけど

最後に「胃癌」と診断された時

「最後までこうなるのか...」と

母親と同じ病で一生を閉じることを悔しいと言っていた。


私は母の穏やかな最期を身近で見ていて

なんと気高い姿だろうと思わせてもらって

母に尊敬の念を持ち続けることが出来ている。


母がおばあちゃんを赦すことが出来ていたら

もっと幸せを感じる人生を生きれただろうと思うのに...


おばあちゃんにはおばあちゃんの苦しみがあったはず。

義理の両親と5人の子どもを抱えた女性が

戦争が強いた不安定な家庭を守る。

凄いことだよね。


自分の人生は自分にしか変えられない。




人生は奥深いのよ。



全部が学び。


になる。

そう

学びにするのもやり過ごすのも自分次第。


自分で決めればイイ。

逃げても戦っても全部自由。


私は

チョット休む。(^^;)







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