「試練」の次は「冒険」



人間て

本当は素のままに

何処までも自由に生きるように出来ているのかも。


だから休日が大好きなんだろうね。


でも

やらなくちゃいけないことで埋められる

仕事の日の方が一杯ある。


辛いことだ。


家族が

私を羨ましそうに見る。


でも

「羨ましい」とは言わない。


何故なら

「なってみれば?」

って私が言うのを分かってるんだろう。


やっぱり

好んでニートにはなれないよね。


その

ニートな私は


昨日は

山ほどのアクシデントに見舞われて

ぐずりながらもアンラッキーを増やさないために

早々に布団に潜り込んだ。


が...

お風呂上がりの高校生が部屋にやって来たもので

何時もの寝る時間まで施術の時間になった。(>_<)



「試練」と言うには小っちゃすぎる

ただのアンラッキーなんだけど

そこにも大事なことはたくさん隠れていて

私が理解する必要のあることが起きていたということだった。


今日も相変わらずパンを仕込んでるけど

昨日のアメリカンコメディーみたいな失敗はしていない。

なぜなら

昨日の失敗が私を導く。


生地がまとまらずイライラもしてないし

周りを片付けながらしてるので

物を落としたりぶつけたりしないし

順調順調。(*^^)v


冒険し過ぎた。



材料もなんちゃってだし

焼き方も変えたので

とんでもないことに...(^^;)


この数々のNGが

次の技になるのよ。(笑)




良く「試練」を越える。

っていうけど

決してやり過ごすというものではない

と私は思う。


自分が「試練」と感じるものは

自分がこの状況は嫌だと感じるから「試練」と思う訳で

やり過ごすだけだと

また同じことがやって来る。


何が自分にとって嫌だと感じてるのか?

それを変えるにはどうしたらいいのか?

そこに気づくことが大事なんだと思う。


私はニートで居続けることで

大きな学びを得た。


「ターシャの様に生きたい」は

広大な花園の所有者になったり

有名な絵本作家になりたい訳じゃない。

自然を慈しみ

自分を愛することが出来る

ナチュラルな生き方がしたかったということなんだ。


それならば

今の私は時間の制約もなく

今日やることを自由に決めれる

一日中カラスの縄張り争いを見ていても

誰かが困る訳でも無い。


そして突然私は気づいた。

私は私が望む部分の「ターシャの様な生き方」をしているということに...



大事なことは

「試練」を分解すること。

何が試練と感じる原因なのかを知る。

それを変えて行く方法は何通りもあるはず。

どう変えて行くかも自分の選択次第。


「答えは自分の中にある。」


なんて冷たい言い方なんだ。

って思ったこともあった。

でも

なりたい自分は自分にしかわからない。

正しい答えは

自分にしか出せないんだね。



春になると

世の中は大きく動きだす。

日本では4月が年度の初め。


とんでもなく遠くの変化が

自分の人生を大きく変えることがある。


去年の私は

大きな津波に飲み込まれた。

取りあえず

生き延びれたことに感謝しようと思う。



出来る事なら

大好きなシナボンが食べられるようになりたい。


いや

それまでに

上手く作れるようになっちゃうかも!!(*^^)v











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