幸せを考えてみた


人って

何でルーティーンに拘るんだろう?


今の私なんて

食事と洗濯と軽い掃除とお風呂のことぐらいしか動かない。


それでも時計を見る。

ともすると

「〇時までに...」

という規則的な動きにしたがったりもする。


その合間にパンを焼いたりすると

捏ねる時間や発酵の時間

形を作ったり焼いたりを組み込んでしまうと

結構忙しなくなる。


これに仕事や育児を絡めたら

それはそれは忙しくない訳が無い。(^^;)



先日

主婦の幸福度調査らしいものを見た。

結果が

子どものいない専業主婦が一番幸福度が高くて

仕事をしてる子どものいる主婦が一番幸福度が低い

ということらしい。


まあ忙しいということでは想像がつくけど

幸福度ってそんなものでもないよね。


精神世界的に言うと

この世にやらなければならないことは何もなくて

全て自分が選択して決めてること。

となる。


自分が想像して選択したのと現実は違った。

ってことは大いにあるけど

それにも全て意味がある。


自分が

「こんな未来」と想像したことを実現するには

今目の前にあることを理解する必要がある。

子どものいる幸せとはどんなイメージだったのか?

子どもって色々変化するし個人差も激しい。

家族でニコニコTDLで遊ぶ絵が浮かんでいたなら

そう言う時もあるかもしれないけれど

そうじゃない時も一杯ある。

そうじゃない時も幸せを感じるにはどうしたらいいのか?

そこに私達の学びがあるんだと思う。


まあ

アンケートみたいなものは

その日の気分で答えも違うし

それぞれの思いがきちんと拾われてるものでもない。


先日

とてもまじめな家族が

会社でストレスチェックをやらされるのがメンドクサイ。

と言ってて

どれだけ真面目にやってるんだろう?

って思ってたんだけど

このほど家族なりの発見をしたらしく

全部真ん中に丸つけたって。(;´∀`)

ちゃんとやっても改善される訳じゃないし...

だそうな。

良くぞ気付いた。(笑)


そんな感じで

丸に込められた思いが抽出されているとも思わないので

幸福度も額面通りには受け止められないものだけど

結果が独り歩きしがちなのが問題かな。


共に暮らすご主人への思いも見えないし

どうしても辛さにスポットが当たっちゃうよね。

本当には

幸せの本質に目を向ける様な流れになると嬉しいんだけどな。





人間の体って

本当に個人差が激しい。

顕微鏡で分析しなくても

さわっただけでも感触が全然違う。

骨格も違うしね。


以前私がまだ駆け出しのころ

誰もかれもが頭痛や首の痛みを訴えて来るので

施術の神様に

「人間の体の構造が良く無い

設計ミスだよ」

って悪態をついたことがある。

そしたら

「どうなったらイイの?」

と返って来た。

だから

「首なんか細くなくていいから

頭に見合った太さで繋げたら良かったじゃん」

って言った。

その答えは

「それじゃ死なないじゃない」

って...(^^;)


まあ本当に首が太かったら死なないのかどうかは別として

そのとき私ははっとした。

そうか

死なない体ぐらい神様は作れるはず。

敢えて死ぬように作った。

そう

人間には寿命があるってことが大事なんだって。


たぶん私達は

人生の設計図を描いて生まれて来てる。

それに見合った寿命が設定されてる。

そう

そう言う体で生まれて来てるってことだろう。


人間の命には終わりがある。

そこがとても重要なこと。

そこまでに何が出来るか?

どれだけの幸せを感じて生きて行けるか?

なんだよね。

だから

今幸せにならなくちゃ

って思った。







幸せの形は人それぞれだし

自分だけの幸せが一杯ある。


みんな誰もが

統計の中の1じゃない。


一人一人が幸せになってみんなの幸せが有る。


ニコニコ生きてる人って素敵。


あっ!

昔職場の先輩に

「何時も笑ってるとバカに見えるよ!」

って言われてビックリしたことがあった。

接客業してるのに...(;´∀`)


まあ

そう言うこともあった。

インパクトのある思い出ね。(*^^)v



さて

パンも焼けたし

洗濯物しまおう!!





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