考え中
今日はいいお天気だし
平和だし
悪くない一日。(*^^)v
去年の5月にニートになって
気が付けばもう一年。
ありきたりだけど
長いような短いような一年
だったかな。
でも
今まで味わったことのない
自分の中の想定外を生きて
何もかもが大きく変わった。
たぶん
もう戻れない以前の感覚。
そう感じるぐらい
今は視点も視線も思考も違う。
ありのままってこう言うことか。
そう思う時も多くなった。
みんな幸せになりたいのに
何故苦しめ合うのか
不思議にも思う。
2001年 9.11 アメリカ同時多発テロ
2011年 3.11 東日本大震災
2020年 4.11 コロナによる緊急事態宣言からの東京都の休業要請
それぞれの出来事の後に
私の人生も揺さぶられてる。
世界の動きが変化することで
少なからず影響を受けるんだろう。
勿論
コロナには強烈にシェイクされた。(^^;)
って
昨日ここまで書いた。
そして
考え込んだ。
ほぼ10年おきに起ってる大きな出来事。
これは何を意味してるんだろう?って...
宇宙の出来事は
ただ起こってるということで
意味がある訳でも無い
意味を持たせてるのは人間。
とも言われてるし
考えても分かんないかな?
って思たりもした。
でも
インドの今を知るにつけ
「私なりの意味」に納得した。
今弱い立場にある人を助けられるか?
ということかな。
人間の立場は一定じゃないから
強弱は変わる。
でも
今
強気は弱気を助けられるか?
ということを問われてる気がした。
今私は
命こそ絶やさず生きてるけれど
突然
自分の意図した人生からは大きく外れた。
もうどうあがいても元には戻れないから
そこは宇宙の采配として納得して受け入れた。
でも
ほっておかれたら生きてはいけなかった。
助けの手があって今がある。
そう思うと
「助けの手」には大きな意味がある。
助けの手を伸ばすこと
伸ばされた助けの手を掴むこと。
それが
みんなで生きるということなのかもしれない。
父は今日一回目のワクチンを受けた。
一カ月後に二回目の予約が入ってる。
私のワクチンへの思いは色々あるけど
今それをすることが必要ということなら
個のためではなく集団の為に遂行しようと思う。
逆にワクチン不足が争いの種になりつつもあり
「欲」も複雑にからむ。
今一度
本当に大切な物は何かを考えるチャンスなのかもしれない。
終息には
「みんなで乗り越える」
そんな意識を知る必要があるのかもしれない。
懐かしいなぁ~
♪後悔しなくなれるの~♪
みんなが同じ気持ちになんてなれる訳が無いんだけど
自分が生きる意味に気づいた時
「助けの手」が伸ばせるか?
そして
伸ばされた「助けの手」を掴めるか?
人の迷惑にならないように
自分のことは自分で!
幼き頃からのそんな教育が
生きることを諦める選択に向かいかねない。
コロナは
想像をはるかに超えた課題なのかもしれない。
そんな気がして来た。
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