適応障害?
「適応障害」って凄い病名だよね。
私の気づきの発端はこの病名だったかも。
この世の中のシステムに適応出来ないって
それ障害なの?
病気なの??
幸か不幸か
コロナのお陰で不適応を体験する立場になった私。
コロナ以前は違和感満載ながら
適応の範囲内に留まろうとしていた。
でも
流石に「違和感満載」と言う意識下では
適応するのは簡単じゃ無かったし
変えたい未来を見据えてたから
「変えたいならここを変えて見て」
という「課題」を
宇宙はありがたいプレゼントとして送り込んでくれていたもので
葛藤の連続
戦いの日々と感じていた。
去年5月から
一年間不適応の立場に立ったされて
色んなことを体験した。
直感的にはこれでいいって思うことも
行動としては
何処かでやっぱり適応したいと思ってる節があった。
事業を失敗した形だもの借金を背負って
返済に追われることになった私。
でも
本当は突発的な社会的な理由の廃業だった。
にもかかわらず
緊急事態と言いながら社会システムは何ら変わらず
税金もローンも問答無用。
これ絶対におかしいでしょ。
って思いながらも必死に適応しようとしてた。
家族に頼るとか
ちょっとズルをして忘れっぽい父からかすめ取るとか...(^^;)
いやいや
私に迷惑をかけないためにと
自分のお葬式代を確保していて
その通帳を私に預けてるもので
「私のため」という所を利用したりした。(^^;)
そんなことを必死にしていたんだけど
感染を予防するという行為は自分でも出来るかもしれない。
最悪誰にも会わなければいいんだし
でもそれじゃ病気にならなくても生きて行けないじゃん。
そんな中でどう適応しろと?
何処かでとんでもない無理をしなくちゃいけないってこと?
って思ったら
適応しちゃダメじゃん
という考えになった。(^^;)
「こんな結果」
をアピールしなきゃ策を講じる人がわかんない。
と思って
無理矢理辻褄を合わせるのを放棄した。
いや
ただ返済が出来なかっただけ。(^^;)
何とかもうすぐ払えるなー
という所で
ローンの会社は直々に家を訪ねて集金に来た。(^^;)
待ったなしって感じだったね。
でもね
適応しようと努力してるみんなのお陰が
逆に変化を遅くしてるのかも
という気がして
自分なりの抵抗を試みたということかな。
もう社会的な信用は
私はいらないから。
まだまだ食べ放題。(*^^)v
最近思うことがあって
重い病と戦っている人や
障害という不便と向き合ってる人のブログにお邪魔することが多く
気づきをたくさん頂くし
私の視点も大きく変わった。
本当はね
病や障害を治したい。
それが私の本心。
大それたって思うよね。
まあ
私の寝言と思って頂いて...
でも
日々その不具合と向き合って
しっかり生きてる方々は
自分の体や心と真剣に向き合いながら
前に向かって大事な一歩を踏み出している。
「明日良くなるかもしれない」
「治療法が見つかるかもしれない」
そんな希望の一歩を踏み出していることに
心の強さと命の尊さを感じる。
この社会に適応出来ない事は病ではない。
色々出て来る症状はそれ本来の理由がある。
昔から病は
「結核菌」のせいだったり「アレルギー」のせいだったり
「ストレス」のせい
みたいに言われて来た。
それはあくまでも体が影響されるもの。
影響を受けた体がどう変化したか?
そこが問題なんだよね。
変化を改善することが必要ということ。
人間の体って私たちが考えてるよりずっとスペシャル。
修繕機能も搭載してるからね。
ミスチルね
また会えたなら...♪
今日はこんな風に生きている。
明日はもう少し幸せになりたいな。
そんな一歩が人生を作ってる。
自分の人生だから
大事なのは自分に適応すること。
自分に納得すると
なんかイイじゃん
ってなる。
それが満たされるってことだものね。
満たされてる人ってカッコイイ。
自分の人生を創ってる人って素敵だよね。
さて
ぼちぼちパンが焼ける。
最近気づいた。
私は薄力粉のパンが好きだって。
サクサクしたトーストは私好み。(*^^)v
何処まで安上がりなんだろうね。(笑)
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