たどり着いた問題


生きてることはただそれだけで学び

私が今こうして生きてることにも意味がある


生まれてからずっと色んなことを選択しながら生きてる

勿論赤ん坊の頃は両親の選択で生かされてたのかもしれないけど

その時泣いたから次のプランが成立したこともあったんだろう

退屈してぐずる私に両親の優しさで三輪車が買い与えられたのかもしれない

断片的な記憶があるので私はたぶん三歳ぐらいの頃だろう

その三輪車で大怪我をする


その当時の家の狭い玄関で買ってもらったばかりの三輪車に喜んでまたがってたらしい私

母は内職で和裁の最中

「ダメよ 危ないよ」と言いながら手を動かしてたらしい


私は今でも体に感覚があるけど漕げなかったペダルが一瞬軽くなって回転した

その時上がり段から飛び出して三輪車ごと玄関のガラス戸に突っ込んだ

ガラスで切った首から大量の出血

幸い大きな血管は無事だったので命に影響はなかったが

母は私の姿を見てもうダメだと思ったという


運ばれた病院で縫合

傷も程なく癒え日常が戻ったんだろう

でもそこから私の戦いは始まる


切れた傷を縫合しても元に戻ってない組織は体の中で変化を生み出す

長い間説明の出来ない症状が私に次々にやって来た


今自分で施術しながら納得して行く過去の症状の理由

人間の体は精密の上を行くからダメでもカバーする力が色々働く

それなりに生きれるけど不具合は否めない

連鎖で不具合は拡張して行く


それを元に戻す方法はある

本当の意味の治療


そこに人間の選択が及ぶのかの問題が立ちはだかる

数字や目に見えるものを珍重する現代の人間が

目に見えないものや力を信じて選択するのかの問題になる





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