みんなが自由になりますように


公教育って何をするところなんだろう?


何となくそんなことを考えた。

自分の過去を振り返ると

随分長い時間

同じ椅子に座り続けたもんだ

と思う。(^^;)


ただ座って先生の話を聞いてればいい

ということであっても

退屈だし忍耐が必要になる。


勉強が大好きで授業が面白くて仕方が無いと感じる子には

ディズニーランドで行列を作るよりずっと楽しいのかもしれないけど

ほんの一握りの子に限られるだろう。


そんな公教育の場で

人間の格差は作られるのかもしれない。

そんなことを思った。


勉強の出来る人って信用されるよね。


勉強の出来る人がやってるから医学は正しい

になるし

勉強の出来る人が言ってるから正しい

って良くある。


それぞれが違う意見を述べる有識者って何だろう?

っていつも思う。





私は好きではなかったけど

学校という場所には向いていたのだと思う。


普通に過ごしていれば怒られることもないし

たまに面白い授業もあったし

文化祭で脚光を浴びるという奇跡も経験したし

普通に卒業した。


それからどれぐらい経ってかなー

学校って「支配」なんだって

歌を聴いて

そうかもしれないって思たのは...




卒業して全てが解決することではないし

支配されない生き方は

自分の選択でしか生まれない。


でも

子どもの頃から勉強が出来る出来ないでランク付けがされて

人間の本当の幸せについて学ぶ場もなくて

人間は生きてるだけで凄いんだよ

なんて教えてくれる人もいないし

ありのままでいいって言ってくれる人もいない。

「大丈夫、あなたは天使に守られてるから」

なんて言ったら

高い壺買わされちゃう

って怖がられるかもしれないし...(^^;)


時代は確実に変化して行く。

ただ

変化のスピードはその人次第ではあるけれど

やっぱり時間は必要。

少しずつ変化を感じて行くことが大事なのだと思う。


焦ると

壺買わされちゃうかも。(笑)





0コメント

  • 1000 / 1000